私の母は80代で、認知症があります。
現在は要介護1で、ケアマネジャーさんや訪問介護のヘルパーさん、デイサービスなどに支えられながら一人暮らしを続けています。
今でこそ、介護の制度や相談先を少しずつ知り、周囲の人に助けてもらえるようになりました。
しかし、母の異変に気づき、認知症だと確信した頃の私は、誰に相談すればよいのかも分からず、一人で問題を抱え込んでいました。
当時の私は、そんな絶望感を抱えていたように思います。
この記事では、母の認知症を確信した日のこと、親の介護で人生が止まったように感じた時期、そして現在の心境についてお伝えします。
今まさに親の介護で追い詰められている方に、私の体験が少しでも届けばと思います。
親の介護で人生が終わったと感じた介護の始まり
母の介護が始まる前から、なんとなく異変は感じていました。
母は、向かいの家へ越してきた若いご夫婦が頻繁に家へ入り、勝手に物を持っていくと言うようになりました。
最初の頃は、私も母の話を完全な妄想だとは考えていませんでした。
と迷ったこともあります。
しかし、母の話を聞くために実家へ行くたび、物を盗られた、近所の人がおかしい、困ったことが起きたという話ばかり聞かされるようになりました。
以前の母とは、明らかに違っていました。
実家へ帰ることが苦痛になっていった
母の話す内容が少しずつ変わり始めてから、私は実家へ帰ることを苦痛に感じるようになりました。
本来であれば、お盆やお正月は家族で過ごす機会です。
ところが私は、お盆やお正月が近づくと、なぜか憂鬱になっていました。
また何か困った話を聞かされるのではないか。
近所の人とのトラブルを相談されるのではないか。
母の言うことを否定して、口げんかになるのではないか。
母に会いたくないわけではありません。
むしろ、子どもの頃から大切で大好きな母親でした。
それなのに、母に会いに行くことがしんどい。
そのこと自体にも、後ろめたさを感じていました。
母からの電話も徐々に増えていった
以前の母は、よほどの用事がなければ電話をしてくることはありませんでした。
しかし、困った出来事を訴える電話が、徐々に増えていきました。
母から電話があった数日後に、
「この間も電話したよね」
と私が言っても、
「何を言っているの。電話なんかしていないわよ」
「あなたの方がボケているんじゃないの」
と強く否定されることがありました。
その頃の私は、母が電話をかける回数が増えたため、自分でいつ電話したか分からなくなっているだけだと思っていました。
しかし、心のどこかでは違和感を覚えていました。
留守番電話を聞かせたとき、認知症だと確信した
ある日、母から私のスマートフォンに留守番電話のメッセージが入っていました。
内容は、おおよそ次のようなものでした。
それまで母から聞かされていたのは、物を盗られた、困ったことが起きたという話ばかりでした。
そのため、話の内容だけを考えれば、母が安心できてよかったと思ってもおかしくなかったかもしれません。
しかし、留守番電話を聞いた私は、なぜか安心できませんでした。
モヤモヤするような、胸騒ぎのようなものを感じたのを今でも覚えています。
母は自分が電話したことを覚えていなかった
それからしばらくして、母の家へ行く機会がありました。
何気なく話をしていると、母は再び、お向かいの人が家へ入って物を取っていくという話を始めました。
私はおかしいと思い、母に尋ねました。
「この間、お向かいの人は警察に捕まって、もう帰ってこないと電話してきたよね」
「僕が電話に出られなかったから、留守番電話にメッセージを残していたよね」
すると母は、感情的になって否定しました。
「私はそんなことを言っていない!」
「そんな話は聞いたこともない!」
私は、留守番電話のメッセージが残っていたことを思い出しました。
そして、母自身の声が録音されたメッセージを母に聞かせました。
母は少し驚いたような表情をした後、
「本当ね。これ、私の声ね」
「そういえば、そんな電話をしたのかしら」
「なぜかしら。おかしいわね」
と、急に気の抜けたような声で言いました。
その瞬間、私はそれまで感じていた違和感が、一度にすべてつながったように感じました。
「ああ、母はやはり認知症なのだ」
私の中で、そう確信しました。
帰りの車で子どものように泣いた
その日、母の家から自宅へ帰る途中、私は車を運転しながら泣きました。
大人になってから、あれほど声を出して泣いたことは、あまりなかったと思います。
母は生きています。
目の前で会話もしています。
それでも私には、ずっと大切にしてきた母を失ったように感じられました。
私が子どもの頃から知っている母は、とても優しく、人に気をつかえる人でした。
私には大きな反抗期があったわけではありませんが、生意気なことを言ったことは何度もあります。
それでも、母は私にとって大好きで、大切な存在でした。
そんな母が、少しずつ人のことを悪く言うようになり、周囲を疑い、怒りっぽくなっていました。
もちろん、母は今も母です。
認知症になったからといって、別の人間になったわけではありません。
それでも当時の私には、自分の知っている母が遠くへ行ってしまったように感じられました。
母が亡くなったかのように、とても悲しかったのです。
「人生が終わった」とまでは、そのとき明確に考えていなかったかもしれません。
ただ、これまで何気なく続いてきた時間が終わり、一つの時代が終わったように感じました。
そして、その日から私の「認知症の母の介護」が始まりました。
親の介護でメンタルがやられるほどつらかった時期
介護が始まってからは、一つの問題が解決しないうちに、次の問題が起こるようになりました。
母が物をなくす。
近所の人を疑う。
外へ出て帰れなくなる。
転倒する。
警察に保護される。
体調を崩して病院へ行く。
薬を正しく飲めなくなる。
そのたびに、私は対応方法を調べ、ケアマネジャーさんへ相談し、母の家へ向かいました。
一つの問題に頭を悩ませている間に、別の問題が起こります。
と、気持ちが休まることがありませんでした。
電話が鳴ると、また何か起きたのかと思った
母やケアマネジャーさん、警察から電話がかかってくると、
「また母が何か問題を起こしたのではないか」
と身構えるようになりました。
忘れた頃に、突然問題が起きます。
夜中や仕事中に警察から連絡が入り、母の家の管轄にある警察署まで迎えに行かなければならないこともありました。
私の家から母の家までは、車で約2時間かかります。
すぐに駆けつけられる距離ではありません。
夜中に連絡が入っても、自分が行くしかない。
仕事の予定があっても、休まなければならない。
母の無事を心配する気持ちと同時に、
「またなのか」
と思ってしまう自分もいました。
そう思った後で、母に対して冷たいのではないかと自分を責めることもありました。
親の介護で子供の人生まで止まるように感じることがある
親の介護が始まると、介護をしている子供側の時間も大きく変わります。
ここでいう子供とは、未成年の子供ではありません。
50代になっても、親から見れば私は子供です。
仕事をし、自分の生活を送りながら、突然入る連絡に対応しなければなりません。
私の場合は個人事業主なので、会社員とは事情が異なる部分もあります。
それでも、母の通院や警察への迎えで仕事ができなくなれば、その影響は自分で負わなければなりません。
母が今住んでいる地元は、私が生まれ育った懐かしい思い出のある場所です。
ところが、介護が始まってからは、その地元へ車で向かうたびに、世の中から自分だけが取り残されているように感じることがありました。
田舎道を車で走っていると、時間が逆行していくように感じました。
世間の人たちは普通に働き、自分の生活を前へ進めている。
それなのに私は、また問題を起こした母のところへ向かっている。
「私はいったい何をしているのだろう」
「仕事もろくにできていない」
そのように考え、無意識のうちに、自分の人生まで終わったように感じていたのかもしれません。
「親の介護に疲れました」と誰にも言えなかった
当時の私は、「親の介護に疲れました」と誰かに言うことができませんでした。
親の介護は家族がするもの。
自分の母親なのだから、息子である自分が対応するのは当然。
どこかで、そのように考えていたのだと思います。
母に腹を立てていることを話せば、冷たい息子だと思われるかもしれない。
実家へ帰りたくないと言えば、親不孝だと思われるかもしれない。
そのような気持ちもありました。
だから、誰かに相談するより先に、自分一人で何とかしようとしていました。
しかし、認知症の介護は、家族一人の努力だけで解決できるものではありませんでした。
後になって、意外なほど身近な人も、親の認知症や介護で悩んでいたことを知りました。
その人も、きっと誰にも話せなかったのだと思います。
同じ団塊ジュニア世代には、親の介護に直面している人がたくさんいます。
当時の私たちが、もう少し早く悩みを話し合えていたら、気持ちは少し楽になっていたのかもしれません。
「介護で人生が台無しになった」と感じた理由
介護でつらいのは、身体的な作業だけではありません。
いつ電話が入るか分からない。
問題がいつ終わるか分からない。
母の状態がこれからどう変化するのか分からない。
仕事や自分の予定を、どこまで変更しなければならないのか分からない。
この「先が見えない状態」が、私には非常につらいものでした。
一度だけ大変なことが起こり、それを解決すれば終わるのであれば、まだ気持ちを整理できたかもしれません。
しかし、介護には明確な終わりが見えません。
母の状態は少しずつ変わります。
昨日までできていたことが、ある日突然できなくなることもあります。
そのたびに対応を考え直す必要があります。
自分の予定や仕事が止まり、母の問題への対応ばかりが増えていくと、
「介護で人生が台無しになっている」
と感じることがあっても、不思議ではないと思います。
親の介護で「お金がない」という不安も重なる
私は、実際にまったくお金がない状態だったわけではありません。
しかし、介護にどれくらいのお金がかかるのか分からない不安はありました。
母は非課税世帯で、後期高齢者医療の自己負担割合は1割です。
それでも、通院、介護サービス、見守りのための商品、将来の施設入所など、今後どのような費用が発生するのか分かりませんでした。
特に施設を検討し始めてからは、
と考えるようになりました。
仕事が十分にできない不安と、将来の介護費用への不安が重なると、さらに追い詰められます。
介護のお金については、知らないまま考え続けるよりも、ケアマネジャーさんや自治体へ相談し、利用できる制度を一つずつ確認することが大切だと感じています。
親の介護で後悔したことは?
親の介護で後悔したことは、一つではありません。
母の異変を早く認められなかったこと
母の言動がおかしいと感じながら、私はしばらくの間、
「最近、少し怒りっぽくなっただけだろう」
「年齢のせいだろう」
と考えていました。
もしかすると、私は無意識に「母は認知症かもしれない」という現実を認めたくなかったのだと思います。
ただ、当時の自分を責め続けても、母の状態が元に戻るわけではありません。
異変をすぐに認められなかったのは、それだけ母が認知症になることを受け入れたくなかったからでもあります。
一人で抱え込んだこと
もっと早く誰かに相談すればよかったと思います。
ケアマネジャーさん、地域包括支援センター、自治体、介護を経験した知人など、相談できる相手はいました。
しかし当時の私は、どこへ相談すればよいのかさえ分かっていませんでした。
厚生労働省も、介護サービスについて相談したい場合は、地域包括支援センターや市区町村の窓口へ問い合わせるよう案内しています。地域包括支援センターは、本人だけでなく家族介護者の相談にも関わる窓口です。
母の言うことを強く否定したこと
母が事実と違うことを話すと、私は何度も強く否定しました。
「そんなことは起きていない」
「誰も盗んでいない」
「何度説明すれば分かるのか」
近所の人に迷惑をかけてほしくないという気持ちがありました。
しかし、私が正しいことを説明したからといって、母が納得するとは限りません。
母と言い争いになり、ひどいことを言ってしまった後で、自己嫌悪に陥ったこともあります。
今でも、いつも優しく対応できているわけではありません。
介護する家族も人間です。
腹が立つことも、疲れることも、離れたくなることもあります。
今は「人生が終わった」と思うほどの絶望感は薄れた
現在も、母の介護に関する問題がすべて解決したわけではありません。
母は要介護1で、一人暮らしを続けています。
夜間外出や転倒、物盗られ妄想、服薬管理など、心配なことは今もあります。
忘れた頃に、突然新しい問題が起こるかもしれません。
いつかグループホームなどの施設へ入る日が来る可能性もあります。
それでも、母の認知症を確信した当初に感じていた絶望感は、以前より薄れてきました。
ケアマネジャーさんがついてくれました。
訪問介護のヘルパーさんが来てくれるようになりました。
デイサービスも利用しています。
薬も、母が一度に飲まないよう管理してもらっています。
見守りカメラや紛失防止タグなど、現代の技術にも助けられています。
一人で何とかしようとしていた頃とは違い、今は多くの人、サービス、制度、商品に支えられています。
すべてを自分で解決しなくてもよいのだと、少しずつ分かるようになりました。
現在の母の一人暮らしと支援状況については、関連記事の「要介護1・認知症の母は今も一人暮らし|車で2時間離れて支える私の現状」で詳しくお伝えしています。

親の介護で人生が終わったと感じている人へ
今、親の認知症や介護に直面し、
「自分の人生は終わった」
「仕事も生活も何もできない」
「誰にも分かってもらえない」
と感じている方がいるかもしれません。
私も、同じような絶望感を抱えていた時期がありました。
そのときの私に伝えられるなら、こう言いたいです。
あなたは一人ではありません。
そして、今の絶望感が永遠に同じ強さで続くとは限りません。
親の状態がすぐによくなるという意味ではありません。
介護の問題が、すべて簡単に解決するという意味でもありません。
ただ、一人で抱えていた介護を誰かと分けられるようになると、気持ちの負担は変わります。
まずは、ケアマネジャーさんや地域包括支援センターへ、親のことだけでなく、自分自身がつらいことも相談してよいと思います。
仕事をしている方は、勤務先の介護休業や介護休暇、短時間勤務などの制度も確認してください。
2025年4月からは、介護離職を防ぐための制度周知や雇用環境整備などが事業主に義務付けられています。
精神的なつらさが強く、仕事や日常生活にも大きな影響が出ている場合は、介護の相談窓口だけでなく、医療機関や心の相談窓口へ相談することも選択肢です。
厚生労働省の「こころの耳」でも、働く人や家族向けの相談窓口が案内されています。
助けを求めることは、親を見捨てることではありません。
介護を続けるためにも、介護する家族自身の生活や心を守る必要があります。
まとめ
母の認知症を確信した日、私は帰りの車の中で子どものように泣きました。
大好きだった母を失ったように感じ、一つの時代が終わったような寂しさを覚えました。
介護が始まってからは、問題が次々に起こり、仕事も自分の生活も思うように進められませんでした。
自分だけが世の中から取り残され、親の介護で人生が終わったように感じていた時期もあります。
しかし現在は、ケアマネジャーさん、ヘルパーさん、デイサービス、制度や見守り用品など、多くの力を借りながら母の生活を支えています。
すべてが解決したわけではありません。
それでも、一人で抱え込んでいた頃の絶望感は、少しずつ薄れてきました。
今、親の介護で人生が終わったと感じている方へ。
あなたと同じような悩みを抱えている人は、思っている以上に身近にいます。
一人ですべてを背負う必要はありません。
誰かに話すこと、相談すること、制度やサービスを使うことから、少しずつ状況が変わる可能性があります。
